第四章 黄金の太陽像 1 カハマルカの離宮の牢獄の一部屋は、黄金や宝石や財宝で満たされつつあった。各街々や村々、山の頂きや海岸沿いに立つ太陽神の神殿から、国じゅうのいたるところから箱に詰められた黄金が続々と到着し、普段は細心に行われる像に込められた魂を抜く儀式も一切施されることなく、無造作に積み上げられた。 それはアッという間に膝の高さ、腰の高さにまでなり、その日のうちに仰ぎ見なければならないほどの高さになった。 「本当にこの部屋一杯の黄金を差し出せば助けてくれるのだろうな?」 哀れなアタワルパは、この後に及んでもまだ『白い人』の言葉を信じていて、何度も念を押した。 「ああ、だから早く自由になりたければ、もっと急ぐように家臣どもに伝えるんだ」 エルナンドはニヤリと狡猾に微笑みながら言った。 「遅い! カハマルカの町だけでも、もっと沢山あったように思うのだが…」 アタワルパは自分の為にうず高く積み上げられていく宝の山を見ても、イライラとして焦りの色を隠せず、自分の家来や役人たちが必死で頑張っていることを信じようとはしなかった。…真に疑うべきは、もっと別な処にあったのだが… 「大丈夫、十分集まるさ! 多分明日には天井まで届いて出られるんじゃないかな?」 エルナンドは友だちぶって、失意落胆の元皇帝を慰めた。「…気晴らしに賽コロで遊ばないか?」 二人は財宝の山が天井まで届く間、延々と賽コロ博打で遊んだ。愚かなアタワルパはここでも延々と負け続け、せっかく万里の山を越えて運ばれてきた金銀も次々にエルナンドの私財となった。言うまでもなく賽コロはインチキだったのである。 伝えられるところによると、このエルナンドこそ、すべての人類の歴史の中で、最も賭博で儲けた人物ということである。 さすがに己の運のなさに気がついた元皇帝は、賽コロを止め、代わりに愛妾の一人を牢に呼んで欲しい、と願った。 願いは聞き届けられ、後宮五○○○人の妾のうち特に寵愛の妾が一人、アタワルパ気にいりの着替えを持ってやってきた。光沢のあるグレーのコウモリ毛皮のケープを始め、それらは皆見事なもので、白人たちを改めて驚かせた。 だが、そのケープに隠された魔法の力による機能を知ったら、それこそ腰を抜かしたことだろう。毛皮に使われたコウモリのうちの一匹は仮死状態のまま生きていた。監視の目を盗んでアタワルパがそれの頭を撫でると、それは生き返り、元皇帝の文(結縄)をくわえて、鉄格子の隙間から飛び去った。 その文は一○○○キロ南のクスコの都にいる腹心の隊長にあてたもので、中身には捕らえている義弟のワスカル首長を処刑せよ、としたためてあった。ここでもまたアタワルパは判断を間違う。ワスカルは自分の気づかないうちに白人と組した、と誤解したのだ。 自分はもう助からぬと悟り、かつては仇敵だったワスカルに後を頼むのがインカを死守する最後の方策であったのに、だ。 その頃、レテやコンドルと別れたジャガーは、千里の山道を駆けてクスコに戻った。 もちろん、捕らわれている君主のワスカルに、アタワルパが『白い人』の軍勢に破れ、彼もまた虜囚になってしまったことを伝える為である。 「…という訳です、殿下。いまはこの都をはじめ、どの町もかの村も蜂の巣をつついたような大騒ぎで、今ならもう大っぴらに逃げても誰も追ってはきません! もう鳥や獣の姿に身をやつす必要は無くなったのです」 「そうか、注進ご苦労だった。長い間わたしのことを気にかけてくれて礼を言う」 ワスカルは負け戦と捕虜の生活に痩せてやつれた姿をジャガーに向けて言った。 「さあ、いったん森へ逃れてインカの再興を計りましょう!」 「すまないが、それはおまえと仲間とでやってくれ。わたしはもう疲れた…」 「何とおっしゃいます! ここにじっとしていると、刺客が来るのですぞ!」 ジャガーは君主の手を取って導こうとした。「ジャガー、おまえの言葉ではないが、ものには滅びるべき時というのがあるのだ。アタワルパが己の命乞いをする為に国じゅうの財宝を集めているのを見て、なんと空しい努力をしていることよ、とは思わぬか?」 「そ、それは…」 「新しい時代がすぐそこに来ているのだ。わしには内乱を起こし白人どもにつけ入る隙を与えた責任がある。行け! 行ってレテや大勢の民草を少しでも幸せに導いてやってくれ。これは命令だ!」 ワスカルはひとしきり腹心の手をしっかりと握り、それから振り解いた。 「殿下…」 「聞けばレテは『黄金の太陽像』を守る、と言う。そちも手助けしてやれ。あれはかけがえのないものだ」 「御意の通りに」 ジャガーは溢れくる涙を隠すように、深々と一礼して牢獄を去った。 アタワルパの使者であるコウモリがクスコに到着し、ワスカルの首がはねられたのはそれから数刻のちのことである。 「本当に何と礼を言ってよいやら…」 レテを追ってクスコの太陽神殿に向かって羽ばたきながら、コンドルは背中に乗せているティコを振り返った。「騒動に巻き込んだぼくを恨まず、翡翠の小箱まで取り戻してくれた…」 「いいってことよ。…それよりもコンドル、人間の姿に戻る為の薬は、よくよく騒ぎが収まってから飲んだほうがいいぞ。コンドルの姿のおまえのほうがずっと力があるからな」 ティコは、振り落とされないように必死でしがみつきつつ言った。眼下遥か下を影絵のように飛び去る山河もなるべく見ないようにしている、というのはもったいないという以外にない。 「もうすぐクスコ、おいらたちの故郷だ。村の上空に着いたら降ろしてくれよな!」 彼は必要に迫られて、細目を開けて山河の地形を確認した。 「ひょっとしたら、それは難しいかもしれない…」 「えっ、何だって?」 「ティコを降ろすために高度を下げたら、今度こそレテを見失ってしまうかも…」 「そんな待ってくれてもいないヤツに、無理に追いつく必要もないような気がするけど」 「だから何か急ぐ理由があると思うんだ」 「あっ、そろそろおいらたちの村だ!」 ティコが指さしても、コンドルは一向に高度を下げない。とうとう一瞬のうちに通り過ぎてしまった。 『長いつき合いだったが、これで終わりだな…』 ティコはほとほと愛想を尽かして、コンドルの背中に大の字にひっくり返った。 「そのジャガーさんとやらの言い分じゃあないけれど、インカは『白い人』に滅ぼしてもらったほうがよかったのかもしれないよ」 ティコは半ばヤケになって言った。 「…これからはズルく立ち回らないとやっていけないのかもしれない…」 「そんなことさせてたまるものか!」 コンドルはキッパリと言った。 「生贄の習慣なんかはどうなるのかな?」 「皇帝の命が助かることを願って、いまも至るところで幼子が殺されているさ」 コンドルの姿であることで人間以上の存在になっている彼は、冷静だった。ティコもその時になってハッと、コンドルは少しづつもう人間だった頃のコンドルでなくなっていることに気がついた。 『巨鳥の目と力を持つと、いやでも性格までそれにふさわしく変わってしまうのだろうなあ…』 お互いに飛脚だった頃は、自分が兄貴分だと思っていたティコは、少しの羨望と、彼がコンドルのまま、このままどこかへ飛び去ってしまうかもしれないことに対する一抹の不安と寂しさを覚えた。 もうすぐクスコというところで、ふとまた下を見ると、なんと、早くもピサロの騎兵隊が土煙を巻き上げながら山頂の神殿を目指していた。 「くそう、ヤツら、もうあんな所にまで!」 コンドルは歯がみした。 白鳥とコンドルの間が詰まろうとした時、前方の下界に目的地の太陽神殿が見えてきた。レテはその一角にある高い岩壁に囲まれた秘密の建物に舞い降りた。コンドルとティコも後を追った。 そこはインカの皇帝が巫子を介して天命を聞いたり、国家安泰や一族の繁栄を祈る正神殿からまだ奥の、秘密の祈りの場だった。 レテはコンドルたちが後を尾けてきていることを知っているにも構わず、金の冠をつけたアクリャの姿に戻ると、そのままツカツカと巫子たちの控えの間である広間に入って行った。 自らの意思で人間の姿に戻れないコンドルは、仕方なくティコとともに入口のところからそっと身を乗り出して覗いた。 まず驚いたのは『黄金の太陽像』の巨大さだった。一○人の戦士が腕を伸ばしても囲み切れないくらいだ。そしてその輝き! すぐ隣に『純銀の月の像』があったが、その白く澄んだ光と反射しあって、キラキラと神々しく輝いていた。 「すごい!」 つい先ごろまで、ごく普通の少年だった二人は、思わず叫んで息を飲んだ。 「あんなもの一体どうやって運んだんだ?」 ティコは飛脚らしく、おそらく人間にして何十人分はあろうかと思われるその重量を推測した。 「ここで型を造って鋳造したんだ。あんなものふもとで造って運び上げることなんかとてもできない…」 コンドルは鳥の目をまたたかせて答えた。「魔法の力でも?」 「それはわからない…」 太陽像の大きさにばかり気を取られていたけれど、そのもとに結集した一○○人の選り抜きのアクリャたちの姿もまた壮観だった。年齢は全て一五歳前後、選り抜きだけあって全員香るような顔(かんばせ)、豊かな黒髪の上には黄金の冠を乗せている。 レテは九九人の仲間の前に進み出ると、いきなり土下座をして謝った。 「すみません! わたくしのせいで戦には破れ、陛下は捕らわれの身となり…」 「レテ、気にしないでちょうだい! たまたまあなたの上に不運の矢が当っただけよ。あんな悪魔のような連中に目をつけられたら、だれも防げなかったと思うわ」 アクリャの代表は優しく慰めながらレテの手を取って立ち上がらせた。残りのアクリャたちもコックリと大きく頷いた。 再び顔を上げたレテの頬は涙で濡れていた。「じゃあな、なんかヤバそうだし、おいらはここで失礼するよ」 ティコが去りかけた時、アクリャたちが二人に気がついた。 「誰だッ!」 「コンドルにティコ、来てくれたの?」 レテは仲間たちに二人のことを紹介した。コンドルは、自分が兄ジャガーのところから持ち出した翡翠の小箱の薬で変身したままであること、ティコはコンドルの友人で自分が危なかった頃に行動を共にしていてたこと…「そうですか、コンドルにティコ、レテを 守ってくれてありがとうございました。 …しかしここは聖域、むやみに歩き回ってもらったら…」 「おいらは来たくて来たんじゃないよ!」 ティコは弁明した。 「まずこれを返す」 コンドルは自分の首に大切にぶら下げてあった翡翠の小箱に入っていた「変身の秘薬」をアクリャの長に返した。 「おお、これこそ!」 アクリャの長はすぐに中を改めた。秘薬はあと一包しか残されていない。 「これを返して頂くと、あなたは永久に人間の姿には戻れませんよ」 アクリャの長はコンドルの目をジッと見つめて尋ねた。 「『白い人』の差し向けた軍隊が迫っている。何か役に立てることがあれば手伝いたい」 その言葉にレテは息を飲み、ティコは目を剥いてたじろいだ。 「おいコンドル、本当にいいのか? 死ぬまでコンドルのままなんだぞ!」 「ああ、あれだけの戦士がやられたんだ。最初から生き延びることを考えて戦っていたのではとても勝ち目はない」 コンドルはキッパリと言った。 「長(おさ)、何卒残りの一包みは、もう一度このレテに! 今度こそ鉄砲や雷に打たれるようなことは…」 レテは伏して頼んだ。 「レテ、わたしたちはことさらこのような薬を用いなくとも『黄金の太陽像』を守り切れるのではありませんか? …この薬はやはりコンドルさんに返しておいてあげておくべきです」 アクリャの長はコンドルの手に薬を押し戻した。 「もうご存じでしょうが、この翡翠の箱には薬の製造方法が記してあります。どれも手に入れるのが難しい物ばかりで、揃えるとなると大変です。しかし、万一に備えて、あなたが持っていて下さい」 コンドルは受け取ったばかりのそれらを、すぐにティコの手に押しつけた。 「すまないついでに預かっていてくれ」 「でも、おいらはそろそろこの辺で失礼を。急に入り用になったら困らないかい?」 「その時はその時」 「分かった。…じゃあ無事でな!」 ティコの心は早や故郷の穏やかでのんびりとした暮らしに飛んでいた。ところが、秘密の神殿の一歩出ると、外が大変騒がしい。 それもそのはず、スペイン兵の別動隊がすでにクスコの神殿都市の外に到着し、門を叩き壊したり、梯子を掛けて城壁をよじ登ろうとしていた。 将軍のエルナンドは、鉄砲隊を従えて、正門の前で大音声で叫んだ。 「すみやかに門を開けろ! 開けなかったり少しでも抵抗したりすると、おまえらの大切な皇帝であるアタワルパの命はなく、無論おまえらも皆殺しだ!」 2 それと同じ頃、カハマルカの離宮内の牢獄では、約束通り部屋の天井まで黄金や宝物が積み上げられていた。ピサロはまばゆい光にじっと見つめていることができないくらい だったが、アタワルパのほうは日頃見慣れているせいで、落ち着いたものだった。 『「黄金の太陽像」なしでもこの広い部屋を黄金で満たせるとは…』 ピサロは改めてこの国が蓄積していた富の巨大さに呆れ返り、そこに一番乗りした自分の正しさを確信した。 「ピサロよ。これ以上積み上げることはできぬ。約束通り余を自由にしてくれ」 捕らわれの皇帝は約束の遵守を訴えた。しかしピサロには約束を守るつもりなど鼻から全くない。おまけにちょうどいい具合に、クスコ遠征部隊から『順調にかの地を占領した』という旨の報告を認めた鳩が戻った。『黄金の太陽像』を手に入れるのも時間の問題となった。 『もうこいつには人質としての利用価値も、なにもない』 そう判断したピサロは冷たく言い放った。「国のそこここで、インカの将軍たちや戦士の残党が、きさまを密かに助け出し、我々を包囲して殺そうと計画している。これは明らかにきさまの約束違反だ、アタワルパ!」 「そんな… 余はそんな話は爪の先ほども聞いていない!」 またしても頭ごなしに大声で怒鳴られた皇帝はすっかりすくみ上がってしまった。 「我々はきさまを異教徒の反逆者として処刑する! つまり火焙りだ!」 理屈も何もない無茶苦茶な言い掛かりだったが、要するに侵略者というのは古今東西を問わずこんなものだ。 さらに、ここに至って身代金の話が体裁のよい嘘っぱちであることを悟ったアタワルパは、自分はどうあがいても最初から死刑になることに決まっていたことにも気がついた。 それで今度は、「火焙り」という処刑の方法に恐怖を覚えた。インカは他の土葬文明と同じように、肉体の再生を信じていた。だから、それこそ平身低頭して、名誉ある戦士の処刑法である斬首を願った。「この願いが聞き入れられるならば、ただちにおまえたちの宗教に改宗してもよい」と。 『この皇帝は、もしかしたらただの虚け者ではないのか?』 ピサロは一瞬真剣にそう思ったが、無論、彼にとってそんなことはもうどうでもいいことだった。 『部屋一杯の財宝は手に入った。「黄金の太陽像」もまもなくわが手の物となるだろう。うじゃうじゃといるアタワルパの弟たちの中で飛びきりの阿呆を傀儡皇帝の座に着かせる。あとはゆっくりやればいい…』 ピサロは部屋一杯の宝物のうち、五分の一を自分たちの国王カルロス一世に献上し、残りは全て我が物にした。しかし、このインカの貴重な文化遺産も、当時のキリスト教徒たちの目からは「邪教の呪具」にしか見えず、ことごとく鋳潰されて延べ棒にされ、バラバラにされ、加工されて売り飛ばされてしまい、残念なことに今日にはほとんど残っていない。 皇帝の処刑の日、空はこの地方には珍しく幾重ものぶ厚い雲に覆われた。 伝えられるところによると、アタワルパは最後まで自分を騙し、欺いたピサロのことを深く恨み、いつか墓の中から甦って復讐することを繰り返し誓ったという。 だが、首切り役のスペイン兵は、そんなことには一向に頓着せず、アッサリと皇帝の首をはねた。 大勢の殉死者が出たこと以外は、劇的でも詩的でもない最期だった。 3 クスコに迫ったエルナンドを始めとするスペイン兵は、脅迫に屈したインカの人々によって、自ら開いた門を通って、首都クスコの町になだれ込んだ。 『白い人』は例によって手当り次第に金品を略奪し、殺人を行い、若い女性を掠奪した。 悲鳴や泣き叫ぶ声が町じゅうに満ちた。 ティコは茫然として太陽神殿の中に舞い戻った。 「聞こえるだろう?」 百人の巫子とコンドルはコックリと頷いた。「ひと足遅かった。もう逃げられないぜ!」 巫子の長が呪文を唱えると、『黄金の太陽像』の背後の壁が割れて、地下への抜け道が現れた。 「…でもこんなでっかい黄金の固まり、どうやって担ぐんだ? 屈強の戦士たちでも何百人といなければ…」 「気と呪法で持ち上げます」 レテが先頭に立って背を伸ばし目を閉じ、両手を天に差しのべて祈った。他の九九人の巫子も彼女に習った。 するとなんということだろう、巨大な『黄金の太陽像』は音もなくその台座からフワリと持ち上がったかと思うと、二○○本の細い褐色の腕の上に所を移して静止した。 強烈な黄金の背光は、百個の金の冠をキラキラと輝かせて、まるで朝焼けに燃える海が夜明けの太陽を運んでいるかのようだ。 「すごい! でも落っことしたらみんな押し潰されて死んでしまうぜ!」 ティコは息を飲んだ。 その時、玄関に銃声が響き、衛士たちの断末魔の叫びが聞こえた。 「向う側に敵がいないか、先に行って確かめてくる!」 コンドルはそう言うなり、羽根を広げて秘密の抜け穴の地面すれすれを、出口のほうから吹き抜けてくる風に乗りながら滑空していった。巨大な『黄金の太陽像』が出入りする洞窟だから、横幅や広さには十分と余裕がある。 コンドルが飛び去った後を、百人のアクリャ…すなわち「太陽の処女」たちに担がれた『黄金の太陽像』がしずしずと進んだ。「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」 たった一人見捨てられそうになったティコは慌てた。そのままどこかに身を潜めていようとも考えたが、ガチャガチャという銃や剣の響きが次第に大きく聞こえてくるにつれ、「ままよ!」とばかりに巫子たちの後に続いた。その直後、ピサロの兵士たちが神殿に乱入してきた。 「おお、『純銀の月の像』だ!」 「『黄金の太陽像』はどこだ?」 「逃すな、追えッ!」 兵士たちが秘密の扉をくぐって巫子たちの後を追おうとした時、大きく重い岩の扉はまるで戸板のように軽々と、目にも止まらないスピードでアッという間にズシーンと閉じた。二三人のスペイン兵は扉の間に挟まれて絶命した。 「ひるむな! 叩き壊せ!」 エルナンドは命令したが、それはどう考えても簡単に出来そうになかった。 「無理です、隊長!」 「ええい、ありったけの火薬を使って吹き飛ばせ!」 早速火薬がばら撒かれ、点火された。轟音と爆風のあと顔を上げると、岩の扉は表面が少し剥がれただけで、ビクともしていなかった。 「もう一度やれ! このままではもうじきわれらに合流することになっている兄ピサロに顔向けできない!」 「さっき『ありったけの』とおっしゃったので、火薬はもうありません!」 「なんだと?」 仕方なくつるはしや鎚でとびらを壊しているところへ、アタワルパの処刑を終えたピサロ一行がカハマルカ〜クスコ間一○○○キロの道程をおよそ一週間の強行軍で到着した。「なにをグスグスしておるのだエルナンド!」 ピサロは目の前で銀色に照り輝いている素晴らしい「純銀の月の像」には一顧だにせず弟を責めた。 「兄者、もうよいではありませんか。我々には部屋一杯の金銀財宝もあれば、かくも目を見張るような『純銀の月の像』もあります。一生王候の暮らしができて余りある富です。この上『黄金の太陽像』まで必要でしょうか?」 エルナンドは遅々として進まぬ掘削作業に汗みどろになりながら諌めた。 「バカ者ッ!」 ピサロは弟を力一杯殴り、足蹴にして血走った目で見下ろした。「『黄金の太陽像』なくてなんの富、栄光! いかな財宝を手に入れるとも、『黄金の太陽像』を我が手に抱くまでは、道ばたの物乞いと同じだ!」 ピサロは新たに持参した火薬を使って再度の爆破を試みた。岩の扉は前回よりもかなり剥落したが、それでも貫通するまでには至らなかった。 「おのれッ、蛮人の呪法、なぜこれほどまでにオレの邪魔をする!」 ピサロはなおも立ち塞がる岩壁に、両手をかざしてへばり付き、掻きむしった。両手の爪には次第に血がにじみ、やがて根本から剥がれた。 「兄者!」 エルナンドが止めさせようと近寄りかけたが、ピサロはすでに怨鬼と化し、誰をも寄せつけぬ霊気…オーラ…を身体中から発していた。 オーラはやがて残りの岩壁に乗り移り、ヒビを入らせたかと思うと、木っ端微塵に砕き去った。 部下の兵士たちからは、思わず「おおッ!」とどよめきが漏れた。 「これしきのことで何を驚いておるか? 我等の究極の目的は『黄金の太陽像』だ! 『黄金の太陽像』を手に入れるまでは…」 魔神と見間違う姿となったピサロは、咆哮を秘密の洞窟に響かせながら駆け出した。無論エルナンドと兵士たちも後を追った。 レテやティコ、それに他のアクリャたちよりも一足早く洞窟を抜け出て向う側に出たコンドルは、森閑とした密林の空気にホッと安堵の溜め息をついていた。上空に舞い上がって地形を確かめると、いましがた脱出してきたばかりのクスコの都は早くも点になっていた。いまのところスペイン兵は影も形もない。 ほどなくレテとアクリャたち、それにティコも出口から出てきた。 「ひとまず『太陽像』を下ろし、休息しながら今後のことを話しましょう!」 瞳を半眼に閉じたままのアクリャの長が命令すると、他のアクリャたちは宙空に浮いた『黄金の太陽像』に向けて差しのべていた腕を丁寧に地上に下げた。すると『太陽像』は音もなく地上に降りて、ジャングルの片隅に鎮座した。 術を解いたアクリャたちは皆疲労困憊して次々に地面にバタバタと倒れ込んだ。 「大丈夫?」 ティコはレテの所に駆け寄り、コンドルも舞い降りてきた。 「大丈夫です。それよりも『太陽像』をもっと安全な所に逃さないと…」 レテは息を整えながら額の汗を拭った。 「マチュピチュはどうだろう? あそこへ登る道を魔法で隠してしまえば?」 ティコが提案した。 「危険でしょう。あそこは今後、対スペインとの戦いの拠点、よりどころとなるでしょうし、たとえ魔法で隠してもいつかは発見されてしまう大都市です」 レテは反対した。 「じゃあどこに?」 「密林の奥の、わたしたちにしか分からない処に…」 レテを始めアクリャたちは次々に立ち上がると、再び『太陽像』を気と呪法の力で持ち上げたが、もう最初のような力は残っていなかった。 「あまり無茶をしたら死んじゃうよ!」 ティコは取り乱した。 「わたしたちアクリャは、この『太陽像』さえ無事逃すことができたら、命はどうなってもいいと思っています」 レテは口元に悲しい微笑を浮かべながらつぶやいた。 「そんな! 無事使命を果たしたら、どこかでひっそりと暮らしながら巻き返しを計ろう!」 むきになって言ったコンドルをレテが見つめる。 「あの… じゃあおいらは約束の通りこの辺で…」 密林をさらに進んで抜け、殺風景な岩原とそこをまっすぐに横切る公道に出た時、ティコはちぎれんばかりに手を振ってみんなに別れを告げた。 「達者でな!」 『もしかするともう二度とこの旧友に会えないかも…』 そう思うとコンドルも感無量だった。彼と彼が持っている翡翠の小箱が遠ざかるにつれ、そんな思いが濃くなった。 と、その時、道端の小さな泉がいきなり鉄砲のように吹き出し、それがティコにかかったかと思うと、ティコはもんどり打って倒れ、もがき苦しんだ。 「どうしたティコ!」 コンドルがフワリと飛んで駆け寄り、抱き起こすと、ひどい火傷を負っている。突然吹き出したのは煮えたぎった熱湯だった。 「おかしいな。こんな所にこんなものなかった筈なのに…」 ティコはうめくように 言った。「…火山の活動が盛んになってきているのだろうか?」 「まさか! ぼくはついこの上空を飛んだばかりだ!」 コンドルが振り返ると、『黄金の太陽像』を担いだレテとアクリャたちも同じような目に会いかけていて、進むに進めず、難渋していた。 「ひょっとして…」 コンドルとティコはお互いに顔を見合わせたが、そのまさかだった。 近くの砂場が急にるつぼのように逆巻いて中の砂が真っ赤にな液状になった。そういったところがあっちこっちに何個所もできて、あたり一帯硫黄と岩が溶ける臭いが立ち込めた。地面は火傷するくらいに熱せられ、ティコはやむなくコンドルの背中に逃げた。 「あいつだ!」 次の瞬間、地面は一斉に広い範囲で煮えたぎる溶岩原に変わった。 コンドルが激しく羽ばたいて急いで上空に舞い上がると、地上一帯は地面全体が赤っぽく熱せられ、茂みの有るところには文字通り燎原の火が燃え盛っていた。 「レテッ!」 アクリャたちと『太陽像』もさざ波のように押し寄せてくる溶けた溶岩に囲まれていた。「何をしている! 早く術をかけて氷らせ、冷やせ! 百人も術者がいるんだろう?」 コンドルは上空から怒鳴った。 「『太陽像』を持ち上げている時は他の術は使えません!」 レテは声を振り絞って答えた。 「じゃあ降ろして戦いなよ!」 これはティコ。上空とはいえコンドルの背中にいるものだから人ごとではない。 「こんな邪悪な地面に降ろしたり出来ません!」 「そんな、どうしろと言うんだよ〜」 ティコはことごとくどろどろに溶けて溶岩の海となっていく地上を見て目を覆った。 「もちろんぼくらが戦うのさ!」 コンドルはキッパリと言った。 「『ぼくら』?」 その時、溶岩原の一角が間欠泉のように吹き上がったかと思うと、あれよあれよという間に巨大な魔女の形に盛り上がった。先の戦いで溶岩の力を取り込み、灼熱の怪物と化したカーデッタの変わり果てた姿であった 「よくもよくもこんな姿にしてくれたね! この上は『黄金の太陽像』と巫子たちを喰い尽くし、何としてでも新たな命と若さを手にいれてやる!」 「そんなことさせるものか!」 コンドルは満を持して真空波を送った。「しっかりつかまっていろよ、ティコ!」 竜巻の真空波を受けて、溶岩の魔女は粉々に砕け散った。 「やった! ざまを見ろ!」 ティコは手を叩いて喜んだ。「…ん、待てよ、やっつけたのになぜ溶岩が引かないんだ?」 彼の言う通り、レテや巫子たちの顔は赤い熱と炎に焙られていて、精神の集中だけで耐えるのはもはや限界に達していた。 そうこうしている間に、またしても大量の溶岩が盛り上がり、再び魔女の形を取って舞い戻った。 「!」 「フフフ… 効かないねぇ。形を失ったこの体、痛くも痒くもないねぇ…」 カーデッタはうそぶいた。 コンドルはその後数回に渡って、同じ真空波による攻撃をかけたが、魔女の言う通り結果は空しかった。 「どれ、そろそろ巫子の生き血をすすらせて貰うとするか…」 魔女は紅蓮の炎に包まれた巨大な指先を、『太陽像』を抱いた巫子たちの群れに向けて伸ばした。 「レテーーーッ!」 地獄の灼熱の前には「気の防御幕」などはひとたまりもなく、たちまち巫子のうちの数人は魔の腕にかき抱かれ、硫黄の煙を吐く口の中に放り込まれた。その中には巫子の長もいた。しかしみんな悲鳴一つあげず、じっと宿命に殉じる覚悟の冥目をしたままで、立派な最期だった。 仲間を失ったレテを始め残りの巫子たちは『太陽像』をズシーンと燃える大地の上に取り落とした。 「無念!」 レテと残りの巫子たちはお互いの手と手を繋ぎ、『太陽像』を取り囲むようにして結界を張った。『太陽像』を落としたことにより魔法を使えるようになった彼女らは吹雪を降らせて迫り来る溶岩を一時喰い止めた。 「ホホホ、いつまで保つやら…」 魔女も溶岩の力を増大させて波状攻撃でじょじょに『太陽像』に迫る。コンドルが真空波で援護するが文字通り「焼け石に水」だ。… 「くそッ ヤツは不死身か!」 コンドルもティコも途方に暮れた。二人と巫子たちの顔には次第に疲労と焦燥の色が濃くなったが、溶岩の魔女のほうは一向に疲れる気配がない。 「どうすればいいんだ?」 その時コンドルは、矢のように地上を駆けてくる一匹の精悍な獣の姿を見た。 「ジャガー!」 「間に合ってよかった。…レテ、よく耐えた。いま助けてやる! 溶岩魔女か何か知らないが、このわたしが相手だ!」 「ちょこざいな! この前は尻尾を巻いて逃げた癖に、大きなことをお言いでないよ!」「そうかな?」 ジャガーは崖の上で人間の姿に戻ると、両の腕をゆっくりと動かして印を結び、呪文を唱えた。途端にまっ黒な黒雲が空を覆い尽くしたかと思うと、たちまちのうちに滝のような豪雨が降り注いだ。 「バカめ! たかが雨如きでこのわたしが倒せるとでも思うのかい?」 魔女の言う通り最初のうちは雨は溶岩に当るや否やジュッと音をたてて蒸発していた。しかし、ザーザーと降り注ぐうちにまっ赤だった溶岩は次第に黒ずみ始め、黒く堅く固まって動きをなくした。 「お、おのれッ!」 「やった!」 ティコとコンドルは歓声を上げた。が、次の瞬間、地面に巨大なクレバスのような亀裂が走ったかと思うと、『太陽像』と巫子たちは悲鳴を残す間もあらばこそ、その中に転落していった。溶岩の魔女の残りの部分も素早く地底に逃げ込んだ。 「レテーッ!」 ジャガーもすぐに後を追った。 すると同時に、不思議なことにコンドルが飛翔している上空の太陽の輝きが急に弱々しくなった。まるで紗か霞がかかったみたいにぼんやりと輪郭を失った。 「こ、これは!」 コンドルは弱くなった日輪の中に、地底に落ちて行く途中、岩壁で身体を打ったり、首の骨を折ったりして次々に亡くなっていく巫子たちの姿を見た。そんな中でレテはまだかろうじて『黄金の太陽像』にしがみつく感じで生きている。 「兄さん! コンドル!」 レテの助けを呼ぶ声が聞こえた。 「ティコ、薬を飲ませてくれ!」 コンドルは叫んだ。 「もういいじゃないか! おいらたち、戦士や呪術師でもないのによく戦ったよ! 神鳥コンドルの姿でも苦戦したのに、人間の姿に戻って武器なしで戦うなんて無茶苦茶だよ!」 「つべこべ言わずに早く!」 ティコはコンドルの勢いに押されて翡翠の小箱の中からたった一包残された「変身の秘薬」をコンドルに飲ませた。とたんに、コンドルの身体は強い光に包まれて元の人間の姿に戻り、クレバスの中に落ちて行った。 「おい、いまのを見たか?」 すぐ近くから、『黄金の太陽像』が地中に吸い込まれていったのを眺めていたピサロは、微塵の躊躇もなく、奈落に飛び込んだ。エルナンドもしようがなく後を追った。 それとほぼ同時にクレバスは元のように堅く閉じ合わさった。 「コンドル! レテさん!」 たった一人、荒涼とした地上に取り残されたティコは、カラッポになった翡翠の小箱を抱いて男泣きに泣いた。 『黄金の太陽像』を飲み込んだ地底は、尋常の時よりもさらに熱気を増していた。 「レテーッ!」 獣の鼻を使い、人語で叫びながら進むジャガーのはるか先に、折り重なって倒れている巫女たちの白い衣がかすかに見えた。 「レテ、待っていろ、今すぐに…」 駆け出しかけたジャガーの前に、邪悪に黒くよどんだオーラをまとったピサロが立ちはだかった。 「道案内、どうもご苦労だった」 「貴様! 断じて許さん!」 「あいにくだが、こっちはそれどころではないのだ。おまえなどに構っている暇などない」 ビサロはそのままずかずかと、ジャガーの横を通り過ぎようとした。 ジャガーの赤い霊気が、黒いオーラに触れた… 人間の姿に戻り、光のない地底の国に落ちたコンドルが、薄気味悪い光苔の明かりで最初に見たものは、無残にもズタズタに引き裂かれた瀕死のジャガーだった。ジャガーもまた、元の呪術師長の姿に戻っていた。 「ピサロだ… ただの人間と思っていたが、魔女より強い!」 ジャガーは息も絶え絶えに言った。 「ジャガーさん、しっかりして下さい! 二人でレテさんと『太陽像』を捜しましょう!」 コンドルは彼を抱き起こし、ゆすって励ました。 「オレはもうダメだ… レテと『太陽像』を頼む!」 ジャガーはそれだけ言い残すと、すがるように見つめていた目を静かに閉じてからこと切れた。 力を使い果たした彼は、最後に、愛してやまなかったしなやかな獣の姿に戻ったものの、それもやがて光の塵となって四散した。 「ジャガー、あなたほどの術者がやられるなんて、生身の人間に戻ったぼくは一体どうやって戦えばいいのですか?」 コンドルはジャガーの遺体に向かってそうつぶやいたものの、静かに奥に向かって歩を進めた。 と急に明るさが増した。太陽のそれだ。 そこは大きな鍾乳洞の広間のようなところで、大小の乳白色の鍾乳石が向こうのほうから照り付ける『太陽像』の光に輝やいていた。 コンドルは走った。久しぶりに走った。使命を帯びて冷たい大地の上を駆けるのは心地好い。『勝負はこれからだ!』という気持ちが体中にみなぎってきた。 『黄金の太陽像』は相変わらず残りの巫子たちによってささえられていた。すでに百人のうち半数以上を失ったために、『太陽像』の力を全て封じることが出来ず、かろうじて支えてはいても、その手や腕はひどい火傷を負いつつあった。 「レテッ!」 コンドルは声を掛けた。一同の中のレテがパッと顔を輝かせた。 「コンドル!」 「待っていろ! いま何とかする!」 しかし彼のほうを振り向いたのはレテや巫子たちだけではなかった、 ジャガーの「雨の術」のせいで巨大な体の大部分を失ったものの、等身大の体で生き残った魔女カーデッタ。それに、全身からおぞましいオーラを立ち上らせているピサロ、新式銃を構えたエルナンドもいつしか追いついていた。 「貴様がピサロか?」 「そうだったらどうする?」 「大勢の仲間の仇、今こそ討たせてもらう!」 「おい、おまえら。オレがこいつと戦っている間に、勝手に『太陽像』に触るなよ!」 ピサロはそう言い捨てると、腰のサーベルをスラリと抜いて、まっしぐらにコンドル目がけて突進してきた。オーラはもちろん、サーベルにも及んでいる。 コンドルは幾合ものその鋭い太刀先を右にかわし、左に飛んでよけた。なるほど、ジャガーを倒しただけのことはある、鋭い太刀筋だ。たちまち岩壁を背にしてこれ以上引けなくなった。 「きさま、よもや逃げ回るだけの為に現れた訳ではあるまい?」 「あたりまえだ!」 コンドルは近くの細く長い鍾乳石を叩き折ると、剣のように構えた。 だがそれは、カキーンと一合合わせただけでポキリと折られてしまった。 「インカは金銀や石の加工技術には目を見張るものがあるが、武器は石器しかなくて稚拙よのう…」 「おのれッ!」 「コンドル、これを使って!」 レテは自分の小さな守り刀を投げ与えた。コンドルがそれをスラリと抜くと、それは石でも鋼でもなく、金と銀を混ぜ合わせたようなとても美しい金属で出来ていた。 「こ、これは?」 「『オリハルコン』わたしたちの先祖の遺産。魔法の金属!」 「おお、これもオレさまのモノになるのか」 ピサロは舌なめずりをした。 「誰がおまえなんかに!」 コンドルは勇躍相手の内懐に切り込んだ。 ガキーン! 今度はピサロの剣をしっかりと受け止めた。 「よこせ、何もかも!」 ピサロは物凄い力で押さえ付けてくる。だが、コンドルも必死で押し戻す。 そんなコンドルをエルナンドの銃口が狙った。 「コンドル、危ないッ!」 ドギューン! 銃声が洞窟内に谺する。コンドルは間一髪身をかわし、弾丸はあろうことか勢いよく切り込んだピサロの腕に命中した。 「エルナンド、弟よ… きさま、よくも…」 「ち、違うッ! ぼくはあいつを狙ったんだ!兄さんを狙う訳がないじゃないか!」 「嘘をつけ、きさま宝をみんな一人占めにしようとして…」 ピサロはコンドルをほったらかしにしてエルナンドに迫る。エルナンドは腰を抜かして後じさる… さっきの銃声が原因か、洞窟全体が雪崩の迫った雪渓のようにグググッと不気味な地響きをたてて揺れ始めた。 「危ない、兄さん、早く逃げよう…」 「バカなことを言うな! おまえは何を考えているのだ?」 コンドルはガラ空きとなったピサロの背中にオリハルコンのナイフで斬りつけようとした。もちろんピサロは振り返る。 コンドルはその僅か下をかいくぐって、ピサロの胸を突いた。 「やった!」 確かに手応えがあったハズなのに、ピサロはビクともしない。 「フフフ… すでに我は悪魔の守護を受くる身。いかにオリハルコンとはいえ、もはや痛くもかゆくもないわッ!」 サッと蒼ざめるコンドル。そうしている間にも洞窟の落盤はますます激しくなる。 だがその時、待ち切れなくなった魔女が『太陽像』を支えている巫子たちを襲った。鉤のようになった爪が巫子たちを裂き、純白の聖衣が深紅色に染まる。それでも彼女たちは支え持った『太陽像』を落とすまいとして立ち往生を辞さない… 「おのれッ!」 激怒したのはコンドルだけではなかった。「カーデッタ、『抜け駆けは許さん』と言っただろう? …小僧しばし待て、いま邪魔者を消してくる!」 ピサロはそう言い捨てると疾風のように魔女のほうにとって返し、欲望のオーラにまみれた剣を大上段に振りかぶると、半ば岩と化したその頭を粉微塵に砕いた。 「ピサロ、裏切ったな…」 魔女は断末魔の叫びを上げながら一握の土くれに戻った。 「バカめ! ウヌなどはなから利用して捨てるつもりよ!」 ピサロはその土くれを足で払いのけると、『太陽像』を持ったレテたちと相対した。 「さっさとよこせ!」 ピサロはレテを始め残りの巫子たちを横なぎに払った。 「レテーッ!」 レテも傷ついて崩れるように倒れる。 最後の支えを失った『太陽像』は、ついに何の祈りもない裸の大地の上に落ちた。 ピサロが、コンドルが、駆け寄ろうとした瞬間、『太陽像』はそれまでになく、正視できないほどまぶしく輝いた。 「フフフ… オレの物だ! ついに手に入れたのだ!」 ピサロの両手がついに『太陽像』に触れた。彼の両手はアッという間に溶けて跡かたもなくなった。 「ウアァーッ!」 彼の地を裂く悲鳴が、あたり一面にこだましたが、それも一瞬のことだった。 両手のみではない。全身が太陽のエネルギーに同化して燃え尽きてしまった。『黄金の太陽像』は侵略者の体を飲んだだけでは収まらず、触れた所の地面をも溶かし、まっしぐらに地底に向けて落下を始めた。 「早く、早く食い止めて下さい!」 虫の息のレテは、必死になってコンドルにすがった。「あれが世界の心臓に達したら… 世界は破滅してしまいます!」 それを聞いたエルナンドたちは銃も何もかも投げ出して、腰の抜けたまま這うようにこそこそと一目散に逃げ出した。 「でも、どうすれば?」 コンドルは大急ぎで『太陽像』の開けた穴を覗き込んだ。底からは相変わらず強烈な光がさし昇っている。 しばらくぼんやりと見つめていた彼は、やがて意を決して、その中に身を躍らせた。 『あれに追いつくんだ! 追いつかねばならない!」 迫り来る灼熱と、目を開けていられないほどの光の中で彼は自分の体に変化を感じた… ……………………………………………… どれほどの時がたっただろう。 コンドルは戻ってきた。それも再び神鳥の姿になって… アーチ型の目に染みる青空の下、その体はひづめで下げ持った『太陽像』によって金色に照り輝いていた。 「レテ、レテ、目を覚ましてくれ。キミが元気を取り戻すまで、ぼくは『太陽像』を地に置いて、休息を取ることができない…」 レテは静かに目を閉じたまま答えない。 コンドルの目に光るものが浮かんだ。 上空が陰った。彼がハッとして見上げると、幾百、幾千の鳥たちが空を覆っていた。 中から一羽、とても気品のある白鳥が舞い降りてきて、『太陽像』を持つのを手伝った。他の鳥たちも次々と彼女を見習った。 『黄金の太陽像』は、それを授けてくれた本当の太陽のところに返された。もう二度と醜い欲望にまみれた人間の手に触れることはないだろう。 ……………………………………………… インカ最大の秘宝、『黄金の太陽像』は現在に至るまで発見されていない。 ……………………………………………… 心ある人々は空に戻ったまま帰らない。 残った人々も、先に行った人々に続くことを考えている。 KIJISUKE@aol.com